フェアレデイZ32 デビュー前の評価とは?国産スポーツカーの名車は復権なるか




フェアレディZ32は1989年7月にデビューしました。

その誕生から遡ること数年前、日産自動車は901運動を立ち上げました。

901運動(キュウマルイチうんどう)とは、1980年代に日産自動車が「1990年代までに技術の世界一を目指す」車作りを目標とした運動である。

日産は、新技術を盛り込んだフェアレディZ32・スカイラインGT-R・インフィニティQ45の3車種を300馬力トリオとして販売する計画を立案していました。

Z32は他の2車種より一足早くデビューしましたが、驚異的なスペックもさることながら近未来的なデザインが話題を呼びました。



当時の日本はバブル景気に湧いていました。

好景気の後押しもあり、Z32も発売当初は好調でした。チューナーの手により最高速のベース車に使用され、1991年にボンネビルでトップレコードを叩き出しました。

それ以降はライバル車種が次々に台頭、バブル崩壊も重なり販売台数は次第に右肩下がりとなりました。

Z32は故障しやすくエンジンルームが狭すぎてチューニングに向いていないというのが専らの評判です。しかし、ターボエンジンを搭載したFRスポーツカーの新車自体が少ない現状では存在自体が貴重になってきました。

最近の関心事として、デビュー後に扱いにくいクルマとして評価される経緯が気になってきました。

Z32特有のトラブルは技術力のあるショップや何年もZ32に乗っている方からのアドバイスで解決できることが沢山あります。

90年代のスポーツカー戦国時代に先陣を切ってデビューしたフェアレディZ32。ストリートで速いz32は存在していたし、D1にも出走していました。マニア向けのマシンでしたが、コツがわかれば十分に楽しめるクルマだと思います。

デビュー前の評価を振り返ると、多くの好評を得ていた事がわかってきました。


 

日産はフェアレディZ32で北米の存在感を奪還する目論見だった?

薄れ始めていたZの存在感

S30/S130は北米への輸出が毎年5万~8万台で推移しており、フェアレディZがスポーツカーとして高い評価を得てきたと同時に日産の売り上げに貢献していたことがわかります。

Z31も1984年から北米輸出が開始され、その年は8万9270台を輸出したそうです。1カ月平均7500台にもなり、スポーツカーがビジネスとして成立していたことが伺えます。



Z31の北米CMは如何にもなゲームサウンド+SFテイスト+早いカット割りが特徴的です。80年代はSFテイストのCMが沢山制作されました。

輸出初年度のセールスは好調でしたが販売台数は年々右肩下がりになり、フェアレディZの存在感が北米で薄れてきたことが伺えます。

北米での存在感を奪還する目論見でZ32の開発がスタートしたのかな~と思いつつも、開発は難航したはずです。

当時のライバル車種を振り返ると、70スープラが230馬力で最高速245km/hをマークし、RX-7も小柄なボディながら最高速は230km/h以上を達成。

1987年に発売されたポルシェ928S4は320馬力を発生し、最高速270km/hに到達していました。さらにフェラーリ328GTBやシボレーコルベット、ポルシェ944ターボ等の高性能スポーツカーも続々と登場してきた時代でした。

他を圧倒できていないZ31は周りの強豪スポーツカーに推され気味だったのかもしれません。

時期Zには、性能が飛躍的に向上した他車スポーツカーを凌駕する事が求められた。
 

Z32にはV8の4Lクラスのエンジンが搭載される噂があったとか。

91年に登場したV型8気筒のVHエンジン等を検討していたんでしょうか?高性能スポーツカーがひしめく中、後にも先にも引けない状態だったのかもしれません。

夢のある噂ですが、Z32のエンジンルームにV8は無理な話だったのかも笑。最終的にはMID4のVG30DETTが搭載が決まったと1988年の3月にスクープされていました。なんだかんだでVG30のデザインが気に入っているので、このエンジンが搭載されていて良かったなとは思ってます。

1988年 Z32の実像が明らかに。

デビューが1年後に迫った1988年、Z32の実像が少しずつ明らかになります。

Zとは関係ないですが、1988年はわりと凄い年です。様々な業界で活躍している人達が沢山生まれてますね。

スポーツ選手:田中将大、澤村拓一、前田健太、斎藤佑樹、吉田麻也、福原愛、坂本勇人

モデル:新垣結衣、堀北真希

歌手:大本彩乃 (Perfume)

Youtuber:KAZUYA(京本和也)

恐るべし1988年…

この年代が最後の昭和世代ですが、堀北さんは引退しちゃいましたね。スポーツ・芸能界で1990年代前半~2000年代に生まれた方が活躍している昨今、時間の流れを恐ろしく感じます。

8月10日 ベストカーが次期フェアレディZを特集

ベストカーで次期Zが特集されました。

巻頭カラー計6ページ目にわたり徹底特集。見開き2ページにわたりフロント&リアのスクープイラスト、残りは予想スペックが掲載されています。

この時点でイラストが製品形状に酷似していますし、発売時期の予想は1989年6月でした。実際の発売は1989年7月でしたが、全体的に精度が高い特集だった事が伺えます。

Zに追いつくポルシェなし!!コードNo.756U Zこそ、夢のZだ

開発コードNo.756Uの期待値の高さを他の競合車と比較しています。

Z32予想スペック・・・300馬力で450万円(推定)

シボレーコルベット・・・240馬力で786万円

フェラーリ328GTB・・・270馬力で1520万円

ポルシェ944ターボ・・・220馬力で890万円

こうして見ると、当時の外車に比べてコストパフォーマンスの高さがわかります。この時点でZ31の北米での販売台数はスープラやRX-7以下になっており、Zカー神話の崩壊が指摘されています。

しかし、驚異的なスペックを持った次期Zであれば北米マーケットでの地位奪還も期待できると締めくくられています。

1989年 デビュー前の評価…国産スポーツカーの名車は復権なるか?

年が明けて直ぐの1989年1月7日に長く続いた昭和が終わり、平成が始まりました。

この年は7月に機動警察パトレイバー劇場版Iが公開されたり、同10月にはテレビシリーズがスタートしてます。ドラゴンボールZも4月から放送開始されたようです。

僕が初めてアニメのドラゴンボールZを見たときは悟空がスーパーサイヤ人になってフリーザと戦っていた時です。wikiを見ると、どうやらそれは1990年の夏ぐらいだったらしい…

年明けのZ32の動向を追うと、販売に向けて多くの動きがあったようです。

2月8日 シカゴオートショーで一般公開

画像引用元:http://abc7chicago.com/automotive/photos-chicago-auto-show-through-the-years/485196/#gallery-7

シカゴオートショーで一般公開されました。

北米デビューは日本より2カ月早い1989年5月からなので、プロモートも北米優先です。Z32の隣に立っているのが商品主管の山田さんだったと思います。

手前の赤がターボで奥の黄色がNAかな?

シカゴオートショーは100年以上前から開催されているようですが、国際自動車工業連合会 (OICA) に認定されたのは2007年からだそうです。

2月15日 筑波サーキットでのテスト走行


筑波サーキットでのテスト走行が目撃されました。

7月の日本販売に向けて、Z32国内仕様も最終調整が進められたはず。激動の昭和から平成に移り変わる中、Z32は黙々とサーキットで走り込みをしていたようです。

高速道路等でのスパイショットは最近では当たり前ですが、当時としては珍しい気がします。

元年2月15日午前7時30分頃、2輪の練習走行のため筑波サーキットに着く。

車から降りると、ブルブルと震えるほどの寒さだった。コースを覗くと、まだ走行時間ではないのにかなりのスピードで走り込んでいる4輪の姿が見えた。

これはまさしくニューZ。思わずカメラのシャッターを切った。こんな経験は初めてなので興奮してしまった。(引用元:OPTION 1989年 4月臨時増刊号)

2台のZ32がテスト走行をしていたようですが、国内販売に向けて最終チェックの位置づけだったのかもしれません。

つい1週間前に北米で一般公開されたタイミングでしたので、カモフラージュが施されています。外装やホイールは市販車と同じようでして、フロントバンパーとボディ形状から2by2のツインターボと想像できます。

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3月X日 Daiちゃんこと、稲田大二郎氏がZ32をレビュー

稲田大二郎氏が日本で公開された北米仕様のZ32をレビューしました。

オレ達のZが凄いやつに変わった。そのダイナミックなスタイルはゴックンものだと一目瞭然だ。いや、写真より実車のほうがもっと迫力があるんだ。とゆーわけで、Zフリークのオレも『こいつならローン地獄覚悟で買いたいな』と思った。

~略~

30Z→130Z→31ときたZとはまったく次元の違う”Z32″は魅力抜群だぞ…とオレは思う。(引用元:OPTION 1989年 4月臨時増刊号)

試乗運転無しのレビューでしたが、BNR-32より期待されているような盛り上がりです。

試乗レポートが出始めるのはもう少し先でしたが、デビュー前から高評価を集めていたことがわかります。Z32のデビューを待ち望んでいた人も多数いたと思われます。

発売が3か月後に迫る中でも300馬力で発売されるとありますので、運輸省の指摘が判明したのは発売ギリギリだったのかもしれません。

他車を凌駕するスペックやダイナミックなデザインの数々はフェアレディZが国産スポーツカーの名車として復権するには十分だったと言えます。

発売前の評価については以上になりますが、次回はデビュー時の評価をお届けします。(※記事内容は個人の感想です。)

おまけ…1990年 モーターウィークによるZ32のレビュー

最後に1990年のモーターウィークによるZ32のレビュー動画を紹介します。

ぶっちゃけアメリカの番組なので何言ってるのかわからないのですが、日本ではZ32のレビュー自体少ないので助かってます。

この動画は公式がアップロードしていますが、Youtubeの使い方は海外の方が上手いですよね。日本だとベスモが過去の動画をフリーでアップロードしてます。

過去の番組はいっそのこと、フリーで展開した方が知名度向上に繋がると思っています。


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